「自殺会議」

のっけから不穏なタイトルである。

もしやアレか、どのような方法で自殺するのが一番・・・て奴か、と思いきや、ベクトルは逆方向らしい。

 

末井昭「自殺会議」(朝日新聞社

 

著者の名を目にして、ああ、あの、と思う人はある意味自殺の「通」だろう。

幼い頃に母親が若い愛人とダイナマイトで心中してしまったという、衝撃エピソードと共に七十代の今日まで生きてきた人で、デビュー作のタイトルは「素敵なダイナマイトスキャンダル」だ。

 

この本はそんな彼が、自殺を止めるにはどうすればいいのか、という問いと共に、自殺に関わりのある(?)様々な人に話を聞いた記録である。

取材を受けた人は映画監督や精神疾患の当事者、自殺防止活動の代表にソーシャルワーカーと様々だ。その中には親族を自殺で失った人もいる。

こう書くとなかなかに深刻な内容だと思われそうだが、語り口は飄々と乾いたトーンで、そのおかげもあって暗い気持ちにもならずに読み進めることができる。

 

いつの頃からか、「生きづらさ」という言葉を頻繁に目にするようになったけれど、実のところ死にたい人、というのは増えているのだろうか。SNSの広がりとその匿名性によって、「死にたい」的な言葉を発することのハードルは下がっているように思える。

その言葉の深刻さは人それぞれだろうが、発した理由はやはり、心のどこかで、誰かとつながっていたい、助けを求めたいと願っているからだ。

 

取材を受けた人の言葉に「自殺してしまう人はプライドが高いのかもしれない」というのがあった。

プライド、厄介なものである。低すぎれば「あんたにはプライドってものがないの?」と責められそうだし。だがやはり無駄にプライドを高く設定しすぎるのは文字通り自分の首を絞めることになりそうだ。

弱みを見せられる強さ、みたいなものがあれば、人は楽に生きられるのかもしれない。

これが意外と難しいんだろうねえ。やはり人間、つまらんところで見栄を張るというか、この人に弱みは見せられない、という意地(要するにプライドですね)が日々の原動力になってる場合もあるし。

 

ともあれ、読み終えて思ったのは、自殺というものをタブー視するのでなく、これもまた人の死の一つのありよう、と捉え、正面から向き合うべきなのだという事。それによって我々はより深く生きられるのだろう。