「抗日戦争回想録 郭沫若自伝6」

1の次は2。

誰しもそう思うところだが、1からいきなり6に飛ぶ。

「抗日戦争回想録 郭沫若自伝6」(平凡社東洋文庫

 

自伝1ではまだ血気さかんな少年だった郭沫若、6ではすっかりいい大人。押しも押されぬ文化人であり政治家となっている。

ここで書かれているのは1937年末から1938年末までのおよそ一年、日本の侵略を退けるために国民党と共産党が手を携えた「国共合作」路線をとっていた頃の出来事。

抗日戦争すなわち日中戦争であるが、自国の戦争と言われて、我々がまず思い出すのは太平洋戦争であろう。ざっくり、アメリカに空襲を受けて原子爆弾を落とされて悲惨な目に遭った、的なイメージ。

中国大陸の話になると、こちらは満州国の印象が強い。不可侵条約を結んでいたはずのソ連に攻め込まれ、無辜の人々が犠牲となり、本土への引き揚げは困難を極めた。

で、日中戦争。まず満州事変があって…それからの数年、どのような展開となったのか、漠然としか浮かんでこない。南方戦線と同じくらいのぼんやりした感じ。

まあ昔の事だし、と言い訳めいた言葉も浮かんでくるが、どっこい中国では抗日戦争はまだ熱いテーマだ。政治的な意味において。だから関連書籍も次々と出版され続けている。

というわけで、そんな戦争中の回想録だから、砲弾が飛び交い、戦車が突進してくるような日々を送っていたのかと思えば、さほどでもない。

郭沫若は漢口で宣伝工作など、文化面からの抗日活動を行う立場にあったが、これが全く順調に進まないというか、この地に集まっている国共それぞれの背景をもつ人々の思惑がぶつかりあい、絡みあって停頓する、の繰り返し。はっきり言ってカオスである。

前線を遠く離れた政治の世界における「戦争」とは、しょせん私利私欲のぶつかり合いなのかもしれない。

読んでいてなぜか、コロナ禍の日々を思い出してしまった。

医療従事者たちが寝食を惜しんで戦い続けていた「前線」と、それを支え、指揮をとるはずだった政府の混乱と迷走。あれも一つの戦争だった。そして犠牲になるのはいつも、前線にいる者と市民なのだ。

 

元が新聞の連載なので、各章が短くて読みやすく、郭沫若は相変わらず弾けている。周恩来とも仲がよさそうで、これが文革でうまく生き延びた理由の一つか?とも思ってしまった。

パリピ孔明」という漫画があるが、郭沫若現代日本に転生した「パリピ沫若」はギャップがなさすぎて面白くないかもしれない。とにかく切替が早くて、すぐに新しい世界に馴染みそうだ。