ベスは三十代後半。知的障害を持つが、アメリカのとある街で一人暮らしをしている。働いていた事もあるが、今は無職。公的扶助をうけている。
ベスの日常は、市内を走るバスに乗ることを中心にまわっている。
バス路線と時刻表と運転手のシフトを完璧に記憶し、お気に入りの運転手のバスに乗っておしゃべりを楽しむことが、彼女の生活の全て。
一方、姉のレイチェルは。長年つきあった恋人と別れ、仕事漬けの日々を送っている。
そんなレイチェルが、ひょんなきっかけから、月に一度、ベスにつきあってバスに乗ることになった。この本はその一年間と、彼女たちの家族の過去について書かれている。
レイチェル・サイモン「妹とバスに乗って」早川書房
なんとなく、いい人ばっかり出てきて、心洗われるようなエピソードの連発で、感動の涙が止まりません、みたいな本かと思わせるが、どっこいベスは強烈である。
とにかく自己主張が強い、頑固、人の言うこと聞かない、おしゃべり、声でかい・・・
姉のレイチェルも、ベスの事はもちろん大切に思っているが、その一方でネガティブな感情を抑えられずにいる。
知的障害があるからといって、子供と同じ、というわけではない。ベスはあくまで、知的障害のある大人であり、その有りようは純真無垢というよりむしろ、あけっぴろげ。良識ある大人に備わった、「取り繕う」という概念が皆無なのだ。
しかしだからこそ、ベスはどこまでも自分に正直であり、自分の力で恋人を見つけ、バスの運転手とも仲良くなってゆく。もちろん彼女を敵視する人もいるのだが、そんな相手は一瞥もせず、ただひたすらに、自分の居心地の良さを目指して突き進む。
むしろ良き社会人であるレイチェルの方が、恋人と別れから立ち直れず、仕事以外の人間関係にはほぼ引きこもりという状態。
そしてベスと過ごす一年の間に、レイチェルの妹に対する気持ちは徐々に変化し、それに伴って彼女自身も変わってゆく。
おそらくどんな街にもいるであろう、世間一般の生産活動とは無縁な様子で、気の向くままにあちこち出歩いている人。彼らはホームレスとは違い、人目につくことを厭わない。
そして公園のベンチだとか、ショッピングモールの休憩コーナーだとか、それぞれにお気に入りの場所があって、まったりと過ごしていたりする。
我々は視界の端に彼らを認めると、ああ、またあの人がいるな、一瞬だけそう思って、あとは意識の外に追いやる。
いるけど、いない人。そんな感じだ。
この本を読むと、あの人たちもまたベスと同じように、家族がいるのだと思い当たる。
あの人たちのやりたい事や楽しみがあり、嫌いな事もある。
いるけどいない人ではなく、ちゃんとそこにいる人だ。