「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」

3月28日に教授が亡くなって、はや三ヶ月。

 

悲しみにくれて色んな曲を聞きまくる、かと思っていたが、自分でも意外なことに、少しでも教授の訃報に関するニュースなど流れようものなら、極力、見ない、聞かない。要するに、この世界に教授がいない、いなくなってしまった、という事を認めたくないという気持ちが強くて、判ってはいるのだけれど、横目でスルー、という態度をとり続けてきた。

 

芸術新潮」や「ミュージック・マガジン」の坂本龍一追悼特集号は買った。けれど開きもせずに置いてある。曲も自分からは聞かない。たまにテレビで流れてきたりすると、はっとして、我慢だ我慢だ、と自分に言い聞かせて耐える。

NHKBSの「犬神家の一族」なんか、完全にフェイントでしたな。

 

それでもやはり、三か月もたつとさすがに少しは気の持ちようが変わるというか、誰かの語る教授への追悼はまだ読む気になれないが、教授自身の言葉にはふれたいと思うようになる。

そこへ先週出版された本

 

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(新潮社)

 

2020年に再びガンと診断され、複数回の手術を受けたものの完治の見込みはない、と告げられて、既刊の自伝「音楽は自由にする」に続く、2009年以降の自分の活動を振り返ったのがこの本。

読み進めてゆくと、音楽家としての活動はもちろん、芸術祭のディレクターなど、多忙の一言に尽きるのだけれど、あらためて、2011年の東日本大震災の被災地支援活動を始めとする、弱者への思いやりに胸をうたれる。売名行為と揶揄する声にも、自分の知名度が役に立つならそれでよいと開き直り、求められた事にできる限り、文字通り命を削って応えていたのだ。

 

こういった活動に関しては、ともすれば「どうせ無駄に決まってる」だとか「間に入った人間がいい思いをするだけ」といった言葉を盾にして、積極的にかかわらないという態度をとりがちなのだけれど、教授の活動の全ては、あなたはこの問題について無関心でいられるのか?という問いになって我々に向かってくる。

 

もちろん、語られている内容は多岐にわたっていて、両親の死についてだったり、時間や文明についての考察だったり、過去の様々なエピソードだったり、闘病中とは思えないほど明晰に語られていて、少なくとも読んでいる間は、まるでまだ生きている教授がそこにいて、語っているかのような気持ちになる。

 

そう、ここでようやく気づくのだけれど、確かに教授は亡くなった、でも彼が遺していったものはまだ我々と共にあって、いつでも触れることができるのだ。

 

没後三か月にしてようやく、また教授の音楽を聴いて、追悼記事に目を通そうかという気になった。