「ディア・ピョンヤン」

本来そうあるべきではないのだろうが、北朝鮮のミサイル発射に慣れつつある。

またか、この忙しい時間に。そう思いつつ、もし自分の住むこの場所に照準が合わされていたなら、とっくに着弾してるな、とも思う。

非常に難儀な隣国だが、そこがもし自分の祖国だったら?

 

というわけでヤン・ヨンヒ「ディア・ピョンヤン」(アートン)。

著者はドキュメンタリー映像作家。在日二世として大阪で生まれ育つが、父親は朝鮮総連の幹部で母も活動家。兄が三人いるが、彼女が六歳の時に相次いで北朝鮮に「帰国」し、彼らはピョンヤンにいる。

これだけでかなりハードな条件というか、朝鮮学校に通っているのでコミュニティは北朝鮮、社会環境は日本という一種の二重生活だ。学校で教えられる事と外の世界の情報は食い違い、自由を求める反面で、ただ一人親元に残っている娘としての責任もある。

自分の望みと両親の期待、祖国からの重圧、ピョンヤンに住む兄たちとの絆。その間で揺れ動きながら彼女は成長し、映像作家として歩み始める。そして初めて監督した映画のタイトルが「ディア・ピョンヤン」。済州島に生まれて日本へと渡り、祖国に変わらぬ忠誠を尽くし続ける父親の物語だ。

一見、頭の固い熱血頑固オヤジ、といった印象の強い父親だが、実際はとても愛情深い人だ。この年代の人に珍しく、ありがとうをよく言う、という描写があったが、いまどきの日本で、うわべは優しいが感謝の言葉を口にしない男性がざらにいることを思えば、これはやはり特筆すべき事かもしれない。

自分の期待とは違う方へと進んでゆく娘と、激しくぶつかりながらも(もちろんそこには母親のとりなしもあるのだが)、最終的には娘を信じて、背中を押してくれる懐の深さがある。

この本で特に興味深かったのは、ピョンヤンに住む兄たちの生活だ。様々な不自由を嘆いても始まらない、という達観ともとれる態度で生きている彼らと、さらに生まれたときからその環境に馴染み、たくましささえ感じさせるその子供たち。

ミサイル発射に明け暮れる権力者たちのことはさておいて、彼ら市井の人々が心安らかに、豊かに暮らせる日が来てほしいと思う。

 

本書にはさらに後日談がある。「ディア・ピョンヤン」が父と娘を軸にした作品であれば、ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」は母親の物語だ。

日本で生まれたのに、どうして北朝鮮を自分の祖国として選び取ったのか。本書ではまだ語られていなかった母親の物語もまた、深く考えさせられるものだった。

 

戦争には終わりがあるが、その影響に終わりはない。寄せては返す波のように、大きくなったり小さくなったりしながら、常に世の中を揺さぶり続けている。

祖国とは、本当に自分を守ってくれるものなのか?

この映画を見て以来、私の心に生じた疑問である。