風呂上りのルーティンで、パソコンのニュース画面を開いた。
「坂本龍一さん死去」
我が目を疑うって、こういう事なんだろうか。一瞬、は?となって、それからようやく事の重大さに気づき、「えーっ?!」と叫ぶ。
正直なところ、教授は12月の配信ライブで、自分が遠くに行ってしまう事を我々に伝えたのだと感じていた。でもまだもう少し時間はあると、そう思い込んでいた。
まさかこんなに早く、去ってしまうなんて。
教授、今まで本当にありがとう。
YMOが巷の話題をさらい、惜しまれながらも散開した頃、私は十代の終わりだった。
彼らの熱心なファンではなく、有名な曲なら大体は知っている、という程度。それよりもクラシック、特にドビュッシーが好きだった。
なのでドビュッシーの作品なら、マイナーな曲でも探し出して聞いていたのだが、ある日ふと思った。
既に亡くなっている作曲家の作品は、いつか全て聞き尽くしてしまう。その後はどうすればいい?
今なら、何度でも聞けばいいじゃないの、と思うが、若者の特徴であろう、視野が狭い。本気でそう思った。
ではどうするか、いま活躍している作曲家なら、これから先も作品は増え続けるのだから、それを聞けばいいのだ。ドビュッシーのような近代ではなく同時代、まさにコンテンポラリーな作曲家。
ちょうどその頃、教授の「音楽図鑑」がリリースされて、それから私の教授を追いかける日々が始まった。
彼はこの先、テクノやポップスにとどまらず、フルオーケストラで演奏するような曲を作る。なぜだかそう確信したけれど、教授は数年後に「The Last Emperor」でそれを実現してくれた。
「未来派野郎」「Neo Geo」「Beauty」「Heartbeat」・・・そして最新盤「12」。
アルバムタイトルを見ただけで、リリースされた時に自分がどこでどうしていたかを思い出すことができる。ある意味で人生の伴走者、いや伴奏者。
だから12月のライブを聞き終えて、そう遠くない未来に、私は自分の生活を形作っている大切なものをひとつ失うのだと実感し、その覚悟をしようとつとめた。
そして今、教授の訃報に接して、実のところそんな覚悟など全然できていなかった事にあらためて気がついた。
もう教授がこの世にいない。
悲しみはもちろん大きいのだけれど、それ以上に、途方に暮れている。
教授、今まで本当にありがとう。そして安らかに。
私はこれからもあなたの作品を聞き続けます。