「テヘランでロリータを読む」

知ってるようで知らないと言えば聞こえは良いが、実際には知ろうとすらしていなかった。

それがイランという国に対する、私の向き合い方だったと、今更ながらに気づかせてくれたのがこの本。

著者、アーザル・ナフィーシーはアメリカの大学で英米文学を教えていたが、祖国イランに帰国して大学で教鞭をとる。

しかしイラン革命後の祖国で、自由に教えること、自由に学ぶことはほぼ不可能だった。

絶望的な状況に教職を辞した彼女はやがて、かつての教え子である少女たちを誘って、私的な読書会を開くようになる。

週に一度、人目を避けるようにして彼女の住まいに集まり、自らの想いを語り合う少女たち。

彼女らの現実への絶望は、我々には想像もつかないほど厳しいものだが、それと同時に深い共感も呼び起こす。

女性であること。

社会が、宗教が、女という性別に課してくる、とてつもなく重い足枷。

奪い去られる尊厳と誇り。

文字通り窒息しそうな生活の中で、ほんのひと時だけ解放される彼女たちの魂。

それぞれに個性的な少女たちの中に、私は自分の友人の面影を見出す。

そう、彼女たちは私たちでもあるのだ。

彼女たちの怒りと苦しみと悲しみに打ちのめされながら、いま一度、自由について考える。

それが失われないように、どうすればよいのか。