自ら、治める

 

民族にはそれぞれ

「芸風」みたいなものがあって

コロナ禍における日本の「自粛警察」は

戦時中の「非国民探し」を思わせたし

かたや中国では

外出禁止なのに麻雀をしていたということで

雀卓かついで市中引き回しにされている人がいた

その映像

胸に札さげて

頭に紙の三角帽子を被せたら

まるで「文化大革命」の批判集会だった

 

この「文化大革命

これまでの日本における理解としては

1960年代から70年代の

約十年に及んだ

毛沢東をはじめとする

中国共産党指導者間の熾烈な権力闘争と

それが一般の国民へと波及した事による

激しい暴力行為を含んだ社会的混乱

といった感じで

人口の大半を占める

漢民族の社会での出来事と捉えられてきた

ではその間

少数民族の社会はどうなっていたのか?

 

楊海英「墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上下)」岩波書店 

 

内蒙古自治区

長らく空白となっていたその答えを

モンゴル族である著者が

綿密な取材によって明らかにしたこの本

名前が「自治区」なんだから

民族による自治が行われていると

思いきや

当時関係が悪化していた

ソヴィエト連邦モンゴル人民共和国

国境を接するが故に

有事の際の不安材料となるモンゴル族

徹底的に管理、弾圧そして迫害

 

民族による自治という

一見当たり前に思えることを

実現させる事の難しさ

暴虐の限りを尽くされても

それを訴え、裁く術さえ与えられない

国家の仕組み

昔の事だからね・・・とか

まあ違う国の事だから

そう思っていられるほど

世の中甘くない

「あいつら」に対して

共感を寄せる事ができなくなる時

それが始まりなのだ

そして人はなぜか

自分も「あいつら」である事を忘れて

「あいつら」を敵視する

 

さらに昨今

新疆ウイグル自治区で何が起きているのか

はっきり知ることはできないが

歴史は繰り返すという言葉を

よく考える必要がありそう