バケットリスト

死ぬまでにしたい事リスト、というと何だか大げさに聞こえるが、英語ではバケットリスト、と言うそうで、うむ、ロゴスの国の住人、欧米の人々の思いつきそうな事だと感心する。

日本社会でいきなり「死ぬまでにしたい事」とか言い出すと、この方は余命宣告されたのか?といらぬ気遣いをされそうだ。何だか仰々しいし、日頃遠ざけている「死」のイメージを、わざわざ引っ張り出すだけで、縁起でもない、と嫌がられそうでもある。

しかしこのリスト、私はわざわざ書いたことがない。漠然と「○○したい」と思っていても、言語化するほど明確には願っていないのかもしれない。今思い浮かぶのは「温泉行きたい」という、ありがちな願いだが、このリストに「裸で泳ぐ」と書き、ちゃんと実行した人がいる。

というわけで、伊藤詩織「裸で泳ぐ」(岩波書店)。

このエッセイは著者が2017年に出した「Black Box」(文藝春秋)の後日談ともいうべきもの。自身の性被害について公表し、公正な裁きを求めて声を上げた彼女の姿は、強く、理知的かつ冷静なイメージがあったが、そちらが「公」の姿とすれば、本書に綴られる彼女の言葉は等身大の「私」だ。

怒り、落ち込み、笑い、悩み、食べ、働き、傷つき、喜び、悩み、愛する。

ともすれば疲れ切り、凍り付きそうな心を抱えた彼女を支えてくれる友人たち。その一方で、分かり合えていたはずの恋人との、突然の別れもある。

二十五才のある日、突然砕けてしまった日常。その後を生き延び、人生を我が手に取り戻すための、長く苦しい日々。そして彼女は三十三才になった。

彼女の名前を見て、ああ、あの事件の、と思う人が今どれほどいるのか判らない。しかし彼女はジャーナリスト・伊藤詩織として認識されるべき人である。そのような形で彼女の未来が拓けてゆくことを願う。そしてその事が、彼女のように声を上げられなかった人たちへの支えとなるように。

読み終えて、どれ、私もちゃんとバケットリストを書いてみようかな、という気持ちになった。

「ディア・ピョンヤン」

本来そうあるべきではないのだろうが、北朝鮮のミサイル発射に慣れつつある。

またか、この忙しい時間に。そう思いつつ、もし自分の住むこの場所に照準が合わされていたなら、とっくに着弾してるな、とも思う。

非常に難儀な隣国だが、そこがもし自分の祖国だったら?

 

というわけでヤン・ヨンヒ「ディア・ピョンヤン」(アートン)。

著者はドキュメンタリー映像作家。在日二世として大阪で生まれ育つが、父親は朝鮮総連の幹部で母も活動家。兄が三人いるが、彼女が六歳の時に相次いで北朝鮮に「帰国」し、彼らはピョンヤンにいる。

これだけでかなりハードな条件というか、朝鮮学校に通っているのでコミュニティは北朝鮮、社会環境は日本という一種の二重生活だ。学校で教えられる事と外の世界の情報は食い違い、自由を求める反面で、ただ一人親元に残っている娘としての責任もある。

自分の望みと両親の期待、祖国からの重圧、ピョンヤンに住む兄たちとの絆。その間で揺れ動きながら彼女は成長し、映像作家として歩み始める。そして初めて監督した映画のタイトルが「ディア・ピョンヤン」。済州島に生まれて日本へと渡り、祖国に変わらぬ忠誠を尽くし続ける父親の物語だ。

一見、頭の固い熱血頑固オヤジ、といった印象の強い父親だが、実際はとても愛情深い人だ。この年代の人に珍しく、ありがとうをよく言う、という描写があったが、いまどきの日本で、うわべは優しいが感謝の言葉を口にしない男性がざらにいることを思えば、これはやはり特筆すべき事かもしれない。

自分の期待とは違う方へと進んでゆく娘と、激しくぶつかりながらも(もちろんそこには母親のとりなしもあるのだが)、最終的には娘を信じて、背中を押してくれる懐の深さがある。

この本で特に興味深かったのは、ピョンヤンに住む兄たちの生活だ。様々な不自由を嘆いても始まらない、という達観ともとれる態度で生きている彼らと、さらに生まれたときからその環境に馴染み、たくましささえ感じさせるその子供たち。

ミサイル発射に明け暮れる権力者たちのことはさておいて、彼ら市井の人々が心安らかに、豊かに暮らせる日が来てほしいと思う。

 

本書にはさらに後日談がある。「ディア・ピョンヤン」が父と娘を軸にした作品であれば、ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」は母親の物語だ。

日本で生まれたのに、どうして北朝鮮を自分の祖国として選び取ったのか。本書ではまだ語られていなかった母親の物語もまた、深く考えさせられるものだった。

 

戦争には終わりがあるが、その影響に終わりはない。寄せては返す波のように、大きくなったり小さくなったりしながら、常に世の中を揺さぶり続けている。

祖国とは、本当に自分を守ってくれるものなのか?

この映画を見て以来、私の心に生じた疑問である。

 

 

「象の記憶」

プロデューサー、って何なんだろうね。

いわゆる華々しい肩書の筆頭格というか、世の中俺が回してる、ぐらいの時代の十歩先を行くアンテナの鋭さを誇り、幅広い人脈と見識、そして度胸と勝負強さを全て兼ね備えた人、というイメージがあるけれど、実際のところはどうなのか。

というわけで、レジェンド級プロデューサー、川添象郎の自伝「象の記憶」(DU BOOKS)を読む。

サブタイトルに「日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー」とあるように、ユーミンを発掘しただとか、YMO仕掛人とか、いちいち話が世界レベル。

そもそも、この人は生まれが上流階級で、曾祖父が伯爵、親がこれまた伝説のイタリア料理店「キャンティ」の経営者といった毛並みのよさ。それで十代の頃から渡米してショウビジネスの世界に身を投じ、波乱万丈のサクセスストーリーを繰り広げるのだから、面白くないはずがない。

そう、面白くは、ある。

しかしまた、清々しいほどに奥行がない。

喩えて言うなら、これは豪華絢爛たる夏休みの日記で、様々な経験が語られはするが、最後は必ず「楽しかったです」で締めくくられ、わざとじゃないかと思うほど、自分の内面とは向き合っていない。勢いはあるが、ほぼそれだけ。

見方を変えれば、人生すなわち夏休みで生きてきた幸せな人、だろうか。

この本の正しい読み方は、彼と時代を共にした人々の、記憶ツアーガイドブックかもしれない。

サイケブーム、あったあった!

アルファレコード、何故かSFマガジンに広告出してた!

ポリス、夜ヒットに出てたなあ!

こんな具合で、私はけっこう、眠っていた記憶を呼び起こされた。

最大の衝撃はカナダの美少年、ルネ・シマールだろうか。姉がレコードを買っていたが、まさかの仕掛人だったとは。

そういう意味では発売から一ヶ月で増刷、というのもうなずける。

しかしやはり、熟読するタイプの本ではない。

 

塀の中で本を読む

詳しくは言えないが、仕事で刑務所に服役中の人とやりとりする事がある。

本来私の担当ではないのだが、上司が回してきた。

率直な感想は「やめてよ~」。犯罪者とかかわるなんぞ、たとえ仕事でも避けたいのに、なんでこっちに回してくるのだ。正直なところ、わけのわからん理由で逆恨みとかされて、お礼参り(?)に来られたらどうしてくれる。

上司は「何かあっても、向こうは塀の中だから」的な事を言っていて、何だこの呑気な人、と思った。そんな「何か」的なトラブルが発生しないように仕事を進めるのは当然だが、それでも何だか得体の知れない恐怖みたいなものは存在する。

一体何の罪を犯したのか、それを悔いているのか、そもそも常識の通じる相手なのか。

とりあえず、これまでやりとりを重ねてきた中で、問題があったわけではない。だがしょせん、検閲を受けてるからな・・・などという気持ちもあり、私はずっと個人名ではなく、会社名義で連絡をしている。

要するに偏見まみれなのである。

 

そんな塀の中の面々と読書会をするという、婉曲に申し上げて酔狂な事を考えた人がカナダにいる。

アン・ウォームズリー 著 向井和美 訳「プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」(紀伊国屋書店

 

そもそもは、社会活動に熱心な友人キャロルに誘われて、著者は刑務所での読書会に出席するのだが、自身が強盗被害の経験(路上で首を絞められる!)があるというのに、よくもまあ、と驚かされる。

著者もそれに起因する恐怖については認めているが、好奇心が勝ったということらしく、人とは業が深いものだとも思う。

で、刑務所内での読書会。参加者全員犯罪者という事で、学級崩壊的なカオスを想像するが、いたってまともである。

もちろん、課題となる本を読んで討論しようという志のある参加者だから、受刑者の中でも特殊な層の人間とはいえる。しかし殺人に麻薬売買に銀行強盗、罪状はそれぞれにヘビーだし、それまでに過ごしてきた環境も生易しいものではない。

だが、参加者たちは著者も驚くような洞察力で本を読み込む。活発な議論を重ねて、他者の考えに耳を傾け、その立場で考えることで、少しずつ変わってゆく。

仮出所を経て社会へ復帰してゆく参加者もいれば、せっかく塀の外へ出たのに、また犯罪を繰り返す者もいて、物事はそう楽観的に進むわけではない。それでも読書という行為が人間に与える作用の大きさについて、そして読書本来の持つ楽しさについて、あらためて気づかされた。

 

 

 

「台湾の少年」

あの岩波書店が漫画を出版か、と思ったが、グラフィックノベル、だそうです。でも体裁としては漫画だと思う。

 

「台湾の少年」(全4巻)
岩波書店 游珮芸、周見信 著 倉本知明訳


日本統治時代の台湾は台中に生まれた、蔡焜霖の一生をたどっているが、それすなわち激動の台湾近代史。


日本式の初等教育を受け、日本の敗戦の後には大陸から撤退してきた国民党、蒋介石政権のもとで、役場の職員として社会に出る。ところが無実の罪で逮捕されて収容所送りとなり、十年もの長きにわたって強制労働と思想教育を受けることになる。
ようやく出所した後、幼馴染と結婚し、雑誌の編集者として活躍するが、これも一筋縄でいかず、一度は全てを諦めかけたが、再び実業の世界で成功を収めるという、まあ本当に浮沈の激しい人生。


もし彼が生まれたのが、この時代でなければ、もっと平穏な人生を送れただろうにと思ってしまうが、それは運命のなせる業。しかしある意味、収容所での経験が彼の後半生を支えたとも思える。
それほどまでに第二巻で描かれる、緑島での収容所生活は辛く、厳しい。国家レベルでの疑心暗鬼ともいえる、反共の嵐、白色テロ。少しでも怪しいと思われた者は次々と連行され、投獄され、処刑された者も少なくない。


侯孝賢の映画「悲情城市」で描かれたのもまさにこの時代だが、作中では語られなかった、連行された後に文清がたどったであろう運命が、この収容所での生活なのである。
幸いにも蔡焜霖は出所できたが、その後も長年にわたり、国家権力の監視を受ける羽目になる。この白色テロについて国が正式に謝罪するのはずっと後のことだ。


とはいえ、現在の台湾社会は、日本よりも風通しが良さそうだ。
あの暗い時代の記憶が、もう二度と同じ過ちを繰り返すまいと、人々に思わせているのかもしれない。そして、国が正式に謝罪した、という事も大きいだろう。
かたや日本は、自由を享受してきたように見えるが、実際は何か大きなものに縛られている。その事と、何かにつけ責任のがれをしてはぐらかし、潔い謝罪などとは無縁の国家である事と、無関係とは思えない。

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」

3月28日に教授が亡くなって、はや三ヶ月。

 

悲しみにくれて色んな曲を聞きまくる、かと思っていたが、自分でも意外なことに、少しでも教授の訃報に関するニュースなど流れようものなら、極力、見ない、聞かない。要するに、この世界に教授がいない、いなくなってしまった、という事を認めたくないという気持ちが強くて、判ってはいるのだけれど、横目でスルー、という態度をとり続けてきた。

 

芸術新潮」や「ミュージック・マガジン」の坂本龍一追悼特集号は買った。けれど開きもせずに置いてある。曲も自分からは聞かない。たまにテレビで流れてきたりすると、はっとして、我慢だ我慢だ、と自分に言い聞かせて耐える。

NHKBSの「犬神家の一族」なんか、完全にフェイントでしたな。

 

それでもやはり、三か月もたつとさすがに少しは気の持ちようが変わるというか、誰かの語る教授への追悼はまだ読む気になれないが、教授自身の言葉にはふれたいと思うようになる。

そこへ先週出版された本

 

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(新潮社)

 

2020年に再びガンと診断され、複数回の手術を受けたものの完治の見込みはない、と告げられて、既刊の自伝「音楽は自由にする」に続く、2009年以降の自分の活動を振り返ったのがこの本。

読み進めてゆくと、音楽家としての活動はもちろん、芸術祭のディレクターなど、多忙の一言に尽きるのだけれど、あらためて、2011年の東日本大震災の被災地支援活動を始めとする、弱者への思いやりに胸をうたれる。売名行為と揶揄する声にも、自分の知名度が役に立つならそれでよいと開き直り、求められた事にできる限り、文字通り命を削って応えていたのだ。

 

こういった活動に関しては、ともすれば「どうせ無駄に決まってる」だとか「間に入った人間がいい思いをするだけ」といった言葉を盾にして、積極的にかかわらないという態度をとりがちなのだけれど、教授の活動の全ては、あなたはこの問題について無関心でいられるのか?という問いになって我々に向かってくる。

 

もちろん、語られている内容は多岐にわたっていて、両親の死についてだったり、時間や文明についての考察だったり、過去の様々なエピソードだったり、闘病中とは思えないほど明晰に語られていて、少なくとも読んでいる間は、まるでまだ生きている教授がそこにいて、語っているかのような気持ちになる。

 

そう、ここでようやく気づくのだけれど、確かに教授は亡くなった、でも彼が遺していったものはまだ我々と共にあって、いつでも触れることができるのだ。

 

没後三か月にしてようやく、また教授の音楽を聴いて、追悼記事に目を通そうかという気になった。

 

 

「自殺会議」

のっけから不穏なタイトルである。

もしやアレか、どのような方法で自殺するのが一番・・・て奴か、と思いきや、ベクトルは逆方向らしい。

 

末井昭「自殺会議」(朝日新聞社

 

著者の名を目にして、ああ、あの、と思う人はある意味自殺の「通」だろう。

幼い頃に母親が若い愛人とダイナマイトで心中してしまったという、衝撃エピソードと共に七十代の今日まで生きてきた人で、デビュー作のタイトルは「素敵なダイナマイトスキャンダル」だ。

 

この本はそんな彼が、自殺を止めるにはどうすればいいのか、という問いと共に、自殺に関わりのある(?)様々な人に話を聞いた記録である。

取材を受けた人は映画監督や精神疾患の当事者、自殺防止活動の代表にソーシャルワーカーと様々だ。その中には親族を自殺で失った人もいる。

こう書くとなかなかに深刻な内容だと思われそうだが、語り口は飄々と乾いたトーンで、そのおかげもあって暗い気持ちにもならずに読み進めることができる。

 

いつの頃からか、「生きづらさ」という言葉を頻繁に目にするようになったけれど、実のところ死にたい人、というのは増えているのだろうか。SNSの広がりとその匿名性によって、「死にたい」的な言葉を発することのハードルは下がっているように思える。

その言葉の深刻さは人それぞれだろうが、発した理由はやはり、心のどこかで、誰かとつながっていたい、助けを求めたいと願っているからだ。

 

取材を受けた人の言葉に「自殺してしまう人はプライドが高いのかもしれない」というのがあった。

プライド、厄介なものである。低すぎれば「あんたにはプライドってものがないの?」と責められそうだし。だがやはり無駄にプライドを高く設定しすぎるのは文字通り自分の首を絞めることになりそうだ。

弱みを見せられる強さ、みたいなものがあれば、人は楽に生きられるのかもしれない。

これが意外と難しいんだろうねえ。やはり人間、つまらんところで見栄を張るというか、この人に弱みは見せられない、という意地(要するにプライドですね)が日々の原動力になってる場合もあるし。

 

ともあれ、読み終えて思ったのは、自殺というものをタブー視するのでなく、これもまた人の死の一つのありよう、と捉え、正面から向き合うべきなのだという事。それによって我々はより深く生きられるのだろう。