「身体のいいなり」

顔を合わせるたびに「もう疲れちゃって、しんどいのよ、全然やる気が出ないの。気がついたら寝落ちしてたりして」と、体調不良を切々と訴える知人がいる。

彼女とは同い年なので、そうだね、この年になると疲れがとれないねえ、と相槌をうつのだが、「あなたは元気そうでいいわね」と言われる。

いやそんな元気じゃないし。体調不良アピールは聞いて愉快なものでもないので、自粛しているだけである。

人到中年、手放しでめちゃくちゃ元気!という人の方が少ないだろう。無理をしようにも体がきかん。

 

というわけで内澤旬子「身体のいいなり」(朝日新聞出版)

 

前回の「世界屠畜紀行」に続いて内澤作品だが、この人、若い頃は腰痛だのアトピーだの、とにかく体調不良に苦しめられていたのが、乳癌の発症をきっかけに己の身体の欲するところに従って過ごすうち、すこぶる元気になってしまったらしい。その顛末を記したものがこの本だ。

巷によくある闘病記とも趣が異なる、何とも突き放した感じの体調不良にまつわる数々のエピソード。あーこりゃしんどそう、と思う一方で、そういや私も経験ありますよ、なところもある。

どういう環境で育った人なのかは書かれていないが、たぶん若い頃の彼女はずいぶんと「頭でっかち」だったのだろう。身体の快、不快といった感覚よりも、かくあるべしという意思だけを貫いた事が身体の不調を招いたように見える。

それだけに、病に倒れてから、身体の求めるところに従ってヨガを始めてからの復活ぶりは劇的である。人間の身体が本来持っている生きる力とはこういう事かと思わされる。

 

中学生の頃、朝礼で整列した我々を見た先生が「今時の子供は背筋が曲がって、まるで年寄りだ」と苦々しい口調で言っていた。当時は「そんな事言われたってな~」ぐらいしか思わなかったが、今になって考えると、「だったら、背筋が伸びるように指導しろ」である。

こう言うとまた軍隊式に「シャキッとせえ!」とか、精神論に流れそうなのが当時の学校教育だが、そうではない。体幹を鍛えたり、重心を整えたり、そういうことを教えてくれれば、背筋は自ずとまっすぐ伸びだだろうに。

体育の授業、というと勝ち負けを競うか、記録を伸ばすか、という方向に流れがちだが、むしろ身体と心の関わりを知る事に重点をおけば、ひいては朝起きられないなどのメンタル不調の解決につながるのではないだろうか。

この本を読んで、そんな事も思った。