黒い影

夜の住宅街

時刻は九時少し前

角を曲がると

何か黒い

小さな影が

道の端をするすると移動

ネズミっぽい

それほど大きくなくて

クマネズミぐらい

何となく気になり

目で後を追う

電柱の影にかくれ

そのまま見えなくなった

消えた?

電柱のそばまで行き

裏側まで回り込んでみたが

何もいない

どこかに入り込んだのか

そう思いながら

電柱のかげから出たところ

何かが飛びかかってきた

ひええええ!

 

相手は散歩中の

ジャーマンシェパード

間一髪で

飼い主さんがリードを引っ張り

セーフ

こっちが急に視界に入ったので

反応したみたいだが

いきなりシェパードですよ

たまげた・・・

しかも

飼い主さん女性の方で

若干引きずられてる

あぶねえあぶねえ

心臓バクバクさせたまま

歩きつつ

ふと先ほどの黒い影について考える

あれ実は

ネズミとかじゃなくて

もっと悪いもので

私をシェパードの標的にすべく

動いていたんじゃないかと

・・・

何か

スティーブン・キング的ホラー

いかんよ

そういう事を考えるのは

ともあれ

無事でよかった

 

 

 

「ボヘミアン・ラプソディ」

封切を心待ちにする映画が

滅多にない今日このごろ

あ?やってた?で

結局見なかったりな

しかし久々に出ましたよ

ボヘミアン・ラプソディ

言わずと知れた

クイーンの伝記映画

というか

ほぼ、フレディ・マーキュリー

よくまあこんな役者を・・・と

驚くほどの完コピで

顔や髪型ならまだしも

僧帽筋まで似てるという徹底ぶり

そしてあの

独特の身のこなし

いきなり70年代イギリスから始まり

あ~タイムマシンに乗って

あのライブハウスに行きてえ~

時代が熱いぜ!

そして生まれた数々の名曲エピソード

バンドは快進撃を続けるも

フレディの孤独は深い

とことん深い

だって独特すぎるから

いやもうはっきり言って、いびつ

いびつだからこその、魅力

人は群がってくる

でも彼が本当に求めるものは

遠ざかる

そして最後にたどり着いのは

やっぱりと言うべきか

「青い鳥」のいる場所だった

あたしゃ三回ぐらい

涙腺崩壊したよ

 

あっという間の135分

ラストのライヴ・エイドのパフォーマンスは圧巻

そして思うのだ

そういやあの頃

世界はここまでバラバラじゃなかった

あの一体感はどこへ消えたのか?

しかしよく考えると

あれはあくまで

「西側」の一体感で

当時は「東側」が仮想敵として存在し

イスラム社会は意識の片隅にあるか、ないか

今、ネットで全世界がつながっているのに

途方もなく細分化されたように感じる

 

さて

この映画はやっぱりサウンド命なので

ドルビーアトモスで百円増しでも

文句は言うまい

フレディの飼ってる猫の

ゴロゴロ音まで堪能できます

いいよな~フレディの声は

というか

使い方によっては凶器

私はある時

夜中にヘッドホンで「ボヘミアン・ラプソディ」を聞いてて

「thrown it all away」のところで

本当にやっちまったような

後悔の念に襲われたのである

危ない危ない

理性が弱ってる時間帯には

取扱注意

 

ところで劇中いきなり

壁に飾られた

金閣寺のお札が目に入り

気になって仕方なかったんだけど

フレディ、本当に持ってたのかな

金閣寺はもちろん

行ったことあるとは思うが

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せのために悪口合戦

久々に友達と会い

ランチ→ケーキというゴールデンルート

彼女は数か月前から

パートに出てるんだけど

この会社が

絵に描いたような

中年女性の戦場らしく

総勢十名以下なのに

二手に分かれて悪口合戦

楽しそうじゃあ!

胸が高鳴るわ!

てな事はなく

大変らしい

やはりこういう場には

まず音頭取りのボスがいて

「逆らうとヤバい」という手下が追従

というのがパターンですね

私の友人は初日いきなり

「もう辞めちゃったけど、私のこといじめてた〇〇さんに似てるぅ~」と

マウンティングされたそうで

他にも色々とあり

シフトのない日でも

「今ごろ私の悪口言ってるんだろうな」と

暗い気持ちになるそうだ

まあ、期限が決まってるので

それまでの辛抱らしいが

がんばれ

愚痴なら聞くぞ

 

ところで、そこの会社で作ってる製品

大きな声では言えないし

小さな字でも書けないが

「みんなの幸せのために存在するもの」なのだ

そんな品物が

このように淀んだ人間関係の中で

作られているとは

でも

けっこうありがちな事かも

だからといって

麻薬密造工場が

和気あいあいとしているか、と

そういう問題じゃないんだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コサックの少年

ネットのニュースで

ビクトル古賀の訃報を伝えていた

格闘技の世界では

サンボの達人として

レジェンドらしいが

私は格闘技には疎い

なのに何故、彼を知っているのかというと

彼の少年時代に関する本を

読んだことがあるから

 

「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」石村博子著 角川書店

1935年に満州の奥地ハイラル

日本人の父と

コサックであるロシア人の母の間に生まれたビクトル

彼が十歳の夏、8月9日

ソビエト満州への侵攻を開始する

戦乱の中で家族は散り散りになり

ビクトルはたった一人で

中国大陸を歩き

日本を目指す

 

波乱の日々

立ち塞がる困難の中で

彼を支えたのは

持ち前の生命力と

母方の一族、コサックの生活で学んだ

自然の中で生きるための知恵

敗戦という厳しい現実にもかかわらず

ビクトル少年はどこか飄々と

たくましく、そして明るく

自分を信じて

前へ進む

 

大人だけが読むのは勿体ない

児童文学にでもリライトしてほしい

というか、ジブリかどっかでアニメにしてくれ

と思うほどに

ビクトルが魅力的なのだ

そのビクトルが世を去った

享年83

今ごろは愛馬シェルカに乗って

大草原を駆けているだろうか

 

 

 

 

「火の鳥」読みまくり

11月3日は

手塚治虫生誕90周年だったそうで

Yahooじゃ太っ腹に

手塚作品読み放題

などという企画をぶち上げてくれて

読みましたよ

火の鳥」を

未読だったり

記憶がおぼろだったりする

「生命編」「異形編」「太陽編」と読み進め

よく憶えてる「望郷編」はおさらい的に

はー面白かった

というか

やはり液晶画面で漫画を読むと

目玉が乾く

以前、手塚治虫のインタビューを見ていたら

「自分の作品はストーリーありきなので

そのせいで主人公がとんでもない目に遭うことが多い」

という内容の発言をしていたが

火の鳥」について言えば

本当にその通り

え~!?そっち~?的な展開が

次から次へと

やめられんね

尚、「黎明編」から「復活編」までは

子供の頃読み過ぎて

脳内上映できるぐらいになってるので

ほぼ読まなくて大丈夫

 

さてこの「火の鳥

一体どのくらい皆さんに浸透しているのか?

私の周囲にも数名

子供の頃に読んだという人がいて

夏が過ぎ

もう秋だよという頃に

弱弱しく鳴くセミの声を聞きながら

火の鳥の生き血を舐めた奴が、まだ頑張ってる」

という会話をするのが

恒例になってたりする

 

 

昼間っからハロウィン

もう10月も終わりか

その前に

スケートカナダ

ジェイソン、ショートの結果が

残念なことに

で、最終的に6位

まあ順位はどうでもいいのよ

希望としてはクリーンな演技が見たい

なので四回転もどうでもいい

だから画面の隅に出てる

「現在の得点」的なご案内も目障り

いやそれじゃ競技になってないし、という

ずれたファンなのである

今季はショートの方が好きなんだけど

フリーのサイモンとガーファンクルメドレー

音楽のつぎはぎ感にも

ようやく慣れてきた

「そういうもの」だと

自分に言い聞かせるのみ

 

さてこの週末

ハロウィン前ということで

実質上ハロウィン的な事になってて

うちの近所では昼間っから

仮装っちゅうかコスプレっちゅうか

みたいな子供と親(普通の格好)が

ぞろぞろ歩いてたなあ

 

日本にハロウィンが入って来たのは数年前

みたいな事が言われておりますが

古くはスヌーピーの漫画

ピーナッツで

ハロウィンになるとライナスが

カボチャ大王を畑で待つ

というネタがあった

私にとっては

レイ・ブラッドベリの「何かが道をやってくる」だなあ

昨今のお祭り騒ぎではなく

もっとおどろおどろしい感じ

これですよ

なのに

何がどうなっての

仮装行列イベントに変換

あと三年ぐらいで

京都の時代祭と合体するんじゃないか

時期的にもかぶるんで

 

 

 

 

 

 

 

脱・日本社会

通販やら

パソコンのサポートやらの

コールセンター

 本社所在地にあると思ってたら

実は随分離れた場所にあったりする

それどころか

海外にもあるんですよ

たとえばタイのバンコク

といっても

電話がかかってくるのは

日本からなので

働いている人は日本人

しかもかなり大勢

一体彼らはどういう人たちなのか?

水谷竹秀「だから、居場所が欲しかった バンコク、コールセンターで働く日本人」集英社

この本はその「彼ら」

それぞれが日本を離れ

異国のコールセンターで働くようになった経緯

さらにはその後の日々まで

長い人では数年にわたって取材したもの

 

コールセンターでの勤務は

日本語のネイティブでさえあれば

他のキャリアやスキルは問われない

つまり、ほぼ誰でもできる仕事で

ノルマも残業もない

故に賃金は低く

現地の日本人社会ヒエラルキーにおいては

暗黙のうちに下層と見做される

とはいえ

贅沢をしなければ

タイでは十分に生活していける

何とも微妙な

ぬるま湯的環境

そして

「海外で働く人」に対して我々が漠然と抱くイメージ

「将来への希望に満ちた若者」ではなく

日本社会での生活に倦み疲れた三、四十代という

決して若くない人々が

そこで働いている

 

彼らの背景はそれぞれであり

決して一括りにはできないが

やはり

就職氷河期だとか

非正規雇い止めだとか

そういった社会的要因は無視できない

しかし彼らの多くにとって

コールセンターは通過点でしかない

そこからまた

次の場所へと

転がってゆくのだ

それでも彼らは日本へ戻るという選択をしない

なぜなら

今いる場所の方が

日本よりずっと居心地が良いから

自分自身でいられるから

 

さて

繰り返し語られる

日本社会の閉塞感だとか同調圧力だとか

ずっと日本にいると

段々判らなくなってきたりするなあ

かく言う私も

昔は香港で働いていたことがあるけど

やはり母国ではない場所で働き、生活するというのは

そう楽な事ではない

それを思うと

彼らに対して

いや立派立派

などと思ってしまうのよ

いいじゃないですか

結局のところ

人生一度きり

我慢ばかりしていても仕方ない

特に

ゴーゴーボーイにハマった藤原姉妹

このフルスロットルぶりはどう考えても

日本社会などという

狭いところに収まりきらない

彼ら、彼女らの未来に幸あれ