栗本薫と中島梓

あら

気がつくと世間は夏休み

昨年の猛暑が記憶に新しく

今年の暑さの緩やかさに

まだ夏も序の口

みたいに思ってました

でも今週からどーんと来るみたいね

 

久々に遠出もしない週末で

本でも読むかと

里中高志「栗本薫中島梓 世界最長の物語を書いた人」早川書房

驚いたのが

栗本薫が亡くなってもう十年

早いもんですなあ

読んでたよ、「グイン・サーガ

途中で脱落したけどね

文字数の割に話が進まん

というのもあったが

数年日本にいなかったせいで

フォローかなわず

リギアさんとか好きでした

「魔界水滸伝」も

友達に借りて途中まで読んでました

 

とはいえ

栗本薫中島梓に対する私の印象は

饒舌な割に本心の見えにくい人

なんか小説もエッセイも

ちゃんと書いてあるんだけど

なんか他人行儀というか

作物でいえば

上の方だけざーっと刈り取ってきた感じで

根っこから一本丸ごと掘り出してきた

というものではない

まあ、常人離れした執筆速度を考えると

納得もするんだけど

 

そういう事を思い出しながら

読んでみると

傍目にはとても恵まれているのに

本人から見ると

両親の愛は全て障害のある弟に注がれているという

なかなかに苛酷な少女時代で

しかも両親ともに

非の打ちどころのないような人であるところが

更に事を深刻にしているような

こういうのって

当事者でないと判らん系の苦しみですね

この人はもしかすると

書くことで精神の平衡を保っていたというか

書かないとたぶん

頭ん中がパンクして

正気を失っていたんじゃないだろうか

 

彼女の活動は執筆だけに留まらず

自作の舞台演出や音楽活動へと広がってゆくけれど

たとえば小説という分野で

年月とともに深度を増す、という形ではなく

同じ深度で表現形態を変えていった

そんな印象があって

ある一定の深さより先には

踏み込むのを避けていたのか?

という気もする

 

ずっと昔に読んだ文章で

彼女は村上春樹の作品を

「現実逃避の胎内返りだ」的な表現で厳しく批判していた

あれから随分たって

村上作品が世界中の人々に支持されている現在の状況を

彼女がもし存命なら、どのように見るだろう

あくまで想像だけれど

あの批判の理由

彼女は村上作品の中に

自分が目を背けてきたものを

見てしまったんじゃないかという気がするのだ

 

ともあれ

彼女のような人は

もう二度と現れないだろう